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小野忠弘

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青森県弘前市で生まれながら、その人生のほとんどを三国の地で過ごしたジャンクアート(廃品芸術)の鬼才小野忠弘(おのただひろ)は、昭和30年代、国際的に高い評価を得た後も、天才的な感性で作品を発表し続け、平成13年(2001)88歳で亡くなりました。 小野画伯は、猛烈な創作活動の一方で、三国高校の美術教諭として人材の発掘育成に努め、アートディレクター戸田正寿など多くの優秀な芸術家を育てました。 小野画伯は、昭和49年(1974)三国の街や九頭竜川を望める小高い丘に古い民家を移築改造して住居兼アトリエとしました。画伯が亡くなった後に、ご遺族から作品100点とともに住居及び土地を一括寄贈されたことから小野画伯を顕彰する声があがり、教え子達の支援もあって、文化施設として整備されたのが「ONO MEMORIAL」です。 小野画伯の作品とも言える住居兼アトリエを改修、これに「ブルーケーキ」と愛称される新しいギャラリーを加えた小さな美術館が誕生したのは平成17年(2005)10月22日のことでした。

プロフィール

1913 青森県弘前市に生まれる。
1933 東京芸術学校彫刻科入学。鳥海青児の知遇を受ける。
1942 三国町に居を定め、三国高校の美術教諭となる。
1944 三国へ疎開していた詩人三好達治と交流。
1946 同郷の棟方志功と同じ下宿となり、一緒に制作して交流。
1953 ロンドン近代美術館主催による「国際彫刻展」に「無名政治犯」を出品し、日本人で初めて佳作賞を受賞。テートギャラリーでコレクションになる。
1957 フランスのミッシェル・タピエのキュレーションによる「世界・現代芸術展」(ブリジストン美術館)に出品し、タピエは“世界に通じる作品”と絶賛。「今日の新人57人展」(朝日新聞社主催)に「ムチンのY」で新人賞を受賞。
1958~  南画廊(東京)で数回の個展(1962年まで)を開催。
1959 第5回「サンパウロ・ビエンナーレ展」に出品。
アメリカの雑誌「LIFE」で「アンチプロトン」が紹介され、ジャンクアート世界の7人に選ばれて、国際的評価が高まり、活躍の場が世界に広がる。
1960 第30回「ベネチアビエンナーレ展」に出品。建畠覚造、荒川修作、篠田守男、山口勝弘、村岡三郎、昆野恒、向井良吉、毛利武士郎らと「集団現代彫刻」を結成。その後、東京セントラル美術館、ときわ画廊などで個展を多数開催。
2001 8月急性心不全で三国のアトリエにて死去(88歳)

作品の所蔵美術館

  • 青森県立美術館
  • 大原美術館
  • 国立国際美術館
  • 高松市美術館
  • 富山県立美術館
  • 奈良県立美術館
  • 福井県立美術館
  • ローマ近代美術館

〒913-0048 坂井市三国町緑ヶ丘三丁目6-13 TEL&FAX0776-81-3556