みくに龍翔館ホームページ
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三国湊の変遷

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中世になると荘園物資の積出港として軍事的にも経済的にも重要性を増した三国湊は、戦国時代には朝倉氏や柴田勝家の支配を受け、江戸時代には福井藩の保護の下、さらなる発展を続けました。その最盛期は幕末期から明治の10年代にかけてでしょう。世にも奇抜な龍翔小学校を建設し、河口に突堤も築きました。そんな三国湊の歴史の歩みを絵図や地図、重要な古文書を使って解説しています。

三国湊のにぎわい

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九頭竜川、足羽川、日野川と越前国を流れる3大河川が日本海に注ぐところに三国湊はあるところから、それら河川流域の街や村と三国湊は河川舟運を通じて経済的にも文化的にも深く繋がっていました。そうした経済基盤の上に、日本海海運での収益が重なるため、三国湊には富が蓄積し、河岸には蔵が並びました。そんな繁栄の様子を、100分の1の蔵並み模型で表現しました。 また、愛玩品としても人気の高い船箪笥の一級品が各種揃い、帆や船額、船磁石、船大工道具など北前船に関する実物資料や知識情報は細部まで深く掘り下げて資料を展示しています。

港の文化

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三国湊では、河川流域の村々から求められて、あらゆる手工業の職人が必要とされました。京や大阪の先進文化は、北前船によっていち早くもたらされるので、技術の向上も進みます。そのような文化環境の中で、職人の中から名人が輩出し、数多くの名品を残しました。また、豪商の嗜みとして流行した俳諧文化も色濃く港町に残っています。三国湊の高水準な工芸技術をご覧いただきます。特に三国仏壇は見逃せません。

〒913-0048 坂井市三国町緑ヶ丘四丁目2-1 TEL0776-82-5666/FAX0776-82-6671

E-mail : mikuni@ryusyokan.jp